ファンでん

おしゃべり広場

2025/04/13 20:35

【福知山線脱線事故20年、祈りの杜に行ってみて感じたこと、考えたこと】
*場所の性質上、写真などはありません。

福知山線脱線事故から20年が経ちました。
私は2006年生まれですので生まれたおりませんし
大阪に住んでいた親戚がいたとはいえ関西出身ではないので
どこか他人事、関係ないことだという風にこの事故については考えていました。

10歳のころに九州から福知山線の沿線に来て、
「福知山線と言わないんだ」だったり「あのマンションで起こったのか…」と現実世界で起きたことだと認識しました。

今日、お昼に塚口駅近くに集合し報道の方、私的に参加されたJR西の従業員の方、事故の当事者の方、私みたいに事故を風化させたくないという気持ちがある方で集まり、雨の中ですがスタートしました。

JRの線路の横道を通り、事故があったマンション跡「祈りの杜」に行きます。
今は毎日使っている路線なのに降りて歩いてみるとどこか違った感じに感じました。

マンション横にある踏切で白いカーネーション4輪を「空色の会」の方から受け取り「祈りの杜」の中へ。
祈りの杜は大変厳かな空気が流れており、
「ここが事故現場で多くの人が亡くなられたり、けがをされたんだ」ということを実感しました。

まずは応接室で自己紹介をしました。
私は若い世代の一人として思いを精一杯伝えました。

外に移動しモニュメントに献花します。
「事故当時に生まれてない私はこれからこの事故を風化させず、次につなげていきます。」
という祈りを奉げさせていただきました。

次にマンションまで行きます。
「ここであったのか。」ということが初めて思ったことです。
「ここであの時、あの時間に、快速に乗った方たちが亡くなられたりけがをされたのか。」
そう思うと涙が出てきました。
これは決意の涙です。
その横では時折、快速が通ります。
事故を起こした車両の同系車両も通ります。

マンションでも改めて祈りを奉げ、お地蔵様に線香を焚きました。
命を守る技術を作るということについて見つめなおしながら祈りを奉げました。

その次には地下にある展示スペースで事故の概要、号外、年表などの展示をみて
命を守ることについて考えながら見ました。
中でも衝撃的だったことは、「事故にあった人の身内の方が自殺した」、「怪我をした人が自殺した」ということで
直接的な被害者だけでなく間接的な被害者の方もいるという事実を知り、
この事故は当事者だけの問題ではなく社会全体の構造、社会の問題だという意識を高めることができました。

ここでは書けないくらい深く、そして自分のこれまでの考え方が浅はかだったことなど考えさせられた今回のメモリアルウィーク。

明日から授業が始まり、安全について学ぶ授業もありますし、
モノづくりの現場に行くとシビアな場面に出くわすこともあるでしょう。
日常で安全について問われる事例に出くわす可能性もあるでしょう。
その時にどう動くのか、どう考えるのか。

福知山線脱線事故などの重大事故から教訓を受け取り
安全について考えることができる人間になり、
広く社会に貢献していきたいと思います。

またこれからモノづくりに携わる人、いま携わっている人は
ぜひこの「祈りの杜」に訪れて安全とは、
技術とは、責任とはということについて学ぶとともに風化を防ぐ人になってほしいと思います。

私は事故の一年後に生まれた人間の一人で当時のことはわかりません。
でも伝えることと考えてこれからに繫ぐことで
風化は防げるはずだと信じております。

4月25日、9時18分。
ぜひ、黙祷しましょう。
目を閉じることができなくても祈ることは可能です。
4月25日に何があったかということを知っている人がいるだけでも風化は防げます。

1件のコメント (新着順)

いろいろな感情、こみ上げてこられたと思います。
是非、今後に活かしてくださいね^ ^
世の中の便利は犠牲のもとに成り立っています、チャレンジにリスクは付き物ですので、取り返しのつかないリスクをどう回避するか、小さなリスクは全てヘッジできるわけないので、ゼロリスクではなく、許容できるリスクはどうカバーできるかという観点も是非心の片隅に置いていただけると嬉しいです^ ^