2025/07/24 17:46
=ほかのところに投稿したものの転載です=
東海村臨界事故についてまた改めて調べた。
臨界事故を最初に知ったのは中学のころで、原子力を志望し始めたところだった。
これまで、原子力事故と言われると福島第一・チョルノービリ・スリーマイル…と発電所での事故しか思い浮かばなかったし、
核燃料自体、採掘したウラン鉱石を焚べていると本気で思っていて、
実際は転換などの作業をしていることは知らなかったし、知ることもなかったように思う。
調べていくと、これが日本の原子力施策の中で起きたことなのかと驚いてしまう。
その中で私が一番衝撃を受けたことは、2名の作業員の方の壮絶な生命の記録だった。
(このことは新潮文庫 朽ちていった命を参照ください。)
読むたびに医療とは治療とはなにかと考えさせられる。
2名の作業員の方はどのような気持ちで痛みや苦痛と闘い、生きていったのかと考えさせられる。医療者としてどう治療方針に従えば良いのだろうか。
そして技術者としては裏マニュアルが、作られない様にするにはどうしたら良いのかと考える。
なぜ裏マニュアルが作られたのか。
工程を早くしたい・作業が大変…などが思いつく。
タイパと聞くとこの事故が思い起こされる。
タイパという言葉が怖い。コスパという言葉も怖い。
時間・お金を軸にしか見れなくなるとなにかを削ろうとか真っ先に思うようになるのではないか。
それは全て、最終的には人命に直結する。
人は脆い。
人は些細なことで死ぬ。
この事故で私はこの事をしっかり認識した。