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おしゃべり広場

玉しゃぶ郎、博士にきく!「哲学的ゾンビってなに?」



玉しゃぶ郎:( ´Д`)
博士〜、また来ちゃいました!
今日はちょっとヘンテコな言葉を聞いたんです。
「哲学的ゾンビ」って……こわい話ですか?



博士:٩( 'ω' )و
おぉ、それはまたおもしろいところに目をつけたのう!
でも安心しなさい、これはお化けのゾンビとは違うぞ。



玉しゃぶ郎:( ´Д`)
えっ?じゃあどんなゾンビなんですか?



博士:٩( 'ω' )و
「哲学的ゾンビ」っていうのは、見た目もしゃべり方も動きも、君やわしとまったく同じなのに、心のなかには“感じる気持ち”がない人間そっくりさんのことじゃ。



玉しゃぶ郎:( ´Д`)
えっ!?「痛い!」とか「うれしい!」とか言うのに、感じてないってこと?



博士:٩( 'ω' )و
そのとおり!
たとえばそのゾンビが足の小指を机にぶつけたとしよう。
「いてぇ〜!」って叫んでピョンピョン跳ねる。
でもね、実はそのゾンビ、ぜんぜん痛くないんじゃよ。



玉しゃぶ郎:( ´Д`)
それって演技ってことですか?



博士:٩( 'ω' )و
そうじゃな。ものすご〜く上手な演技。でも、誰にも見ぬけない。
それどころか、本人も演技してる意識がないんじゃ。
ただ体がそう動いてるだけ。中身が空っぽなんじゃよ。



玉しゃぶ郎:( ´Д`)
……それ、めっちゃこわいじゃないですか!!
そんなゾンビが、もし友だちのフリしてたらどうします!?



博士:٩( 'ω' )و
ふふふ、安心しなさい。これは本当にいるわけじゃなくて、“もしそんな存在がいたら?”っていう哲学の思考実験なんじゃ。
このゾンビを考えたのは、デイヴィッド・チャーマーズという哲学者でな、1990年代にこの話を広めたんじゃよ。



玉しゃぶ郎:( ´Д`)
思考実験ってことは、心のナゾを考えるための“たとえ話”みたいなもんですね!



博士:٩( 'ω' )و
さすがじゃ。
このゾンビの話が問いかけているのは、「人はなぜ“感じる”のか?」ということ。
脳が動いていても、「痛い」と“感じる”とは限らないのでは?という大問題じゃ。



玉しゃぶ郎:( ´Д`)
あっ!じゃあ前に教えてくれた「クオリア」ってやつが、ゾンビにはないんですね?



博士:٩( 'ω' )و
まさにその通り!
ゾンビは「クオリア」がゼロじゃ。
でも動きも言葉も人間そっくり。
つまり、「クオリアの有無」は外からはぜったいにわからない。



玉しゃぶ郎:( ´Д`)
ってことは、もしかしたら…ぼくの友だちも博士も、ゾンビかもしれない……?



博士:٩( 'ω' )و
うむ……。
だがそこは信じるしかないんじゃよ。
他人の心が本当にあるかは、哲学では「他人の心問題」といって、ず〜っと答えが出ていない。



玉しゃぶ郎:( ´Д`)
でも、じゃあ、ロボットとかAIも…人間みたいに話せても、ゾンビみたいってこと?



博士:٩( 'ω' )و
その可能性はあるのう。
今のAIは、「ありがとう」と言っても、本当に感謝してるわけではない。
そう考えると、「感じるってなんだ?」というクオリアのなぞが、どれだけ深いかがわかるじゃろう。



玉しゃぶ郎:( ´Д`)
博士〜…なんだかゾンビより、哲学のほうがコワくなってきました……。



博士:٩( 'ω' )و
はっはっは、それでよいのじゃ!
哲学はこわいけど、おもしろい。
でもひとつだけ安心するんじゃ。
君が「こわい」と感じてるそのクオリアこそ、ゾンビには絶対にない宝物なんじゃよ。



玉しゃぶ郎:( ´Д`)
……なんか、ちょっと感動しました!
今日も哲学、ありがとうございました!