先週の土曜日は奈良・月ヶ瀬から三重県伊賀市(旧伊賀上野市)までドライブ!
旧伊賀上野市といえば、忍者屋敷にわかやさんの豆腐田楽と相場が決まっているのですが(私だけです。おそらく…😆)、久しぶりにお城にも行ってきました。
伊賀上野城。こちら、名うての築城名人、藤堂高虎が移封となった筒井家の城を拡張。その後、慶長17年(1612)に暴風で五層の天守は倒壊し、新たに一国一城令が家康から発布され、明治維新まで天守なしの伊賀国の城と認められたそうです。城には殿に代わって、城代家老が置かれました。
昭和10年(1935)、地元の篤志家によって天守が再建、高虎の幻の天守が忠実に復元されました。
忠実に復元といえば、ご想像のとおり、あの彦根城もそうですが、恐ろしく急勾配の階段が待ち受けておりました💦
でも天守からの眺めは良く、家康が堺から三河へ逃げ帰ったという御斎峠や、青山高原、鎧岳、そして眼下には城下町が一望の下✨
天守の一階には忍者が潜んでいたり、石垣登るなの立て看板には管理者が「城代家老」になっていたり、洒落の効いている面白いお城でした🤣🤣
大阪城とともに、「日本一、二の高さの高石垣(笑)」も見つつ、満足できた旅でした👌
先週の土曜日は奈良・月ヶ瀬から三重県伊賀市(旧伊賀上野市)までドライブ!
旧伊賀上野市といえば、忍者屋敷にわかやさんの豆腐田楽と相場が決まっているのですが(私だけです。おそらく…😆)、久しぶりにお城にも行ってきました。
伊賀上野城。こちら、名うての築城名人、藤堂高虎が移封となった筒井家の城を拡張。その後、慶長17年(1612)に暴風で五層の天守は倒壊し、新たに一国一城令が家康から発布され、明治維新まで天守なしの伊賀国の城と認められたそうです。城には殿に代わって、城代家老が置かれました。
昭和10年(1935)、地元の篤志家によって天守が再建、高虎の幻の天守が忠実に復元されました。
忠実に復元といえば、ご想像のとおり、あの彦根城もそうですが、恐ろしく急勾配の階段が待ち受けておりました💦
でも天守からの眺めは良く、家康が堺から三河へ逃げ帰ったという御斎峠や、青山高原、鎧岳、そして眼下には城下町が一望の下✨
天守の一階には忍者が潜んでいたり、石垣登るなの立て看板には管理者が「城代家老」になっていたり、洒落の効いている面白いお城でした🤣🤣
大阪城とともに、「日本一、二の高さの高石垣(笑)」も見つつ、満足できた旅でした👌
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15
くまさん
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03/12
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